前回、一番大きな牡丹園が駅から仁王門までの途中にある、とご紹 介しましたが、西新井大師には全部で、3つの牡丹園があり、約百 品種2500株を鑑賞することができます。
さて、中国で「花の王」とされる牡丹ですが、日本に渡ってきた時 期は、一説には聖武天皇の頃(大体八世紀前半から中頃) といわれます。弘法大師が持ち帰ったとする説も伝わっています。
さて、中国で「花の王」とされる牡丹ですが、日本に渡ってきた時
当時は薬草として渡来(根皮を乾燥させ、解熱鎮痛剤として使用し たようです)し、栽培もされていた記録があります。平安以降は、 宮廷や寺院で観賞用に栽培されろようになっており、奈良長谷寺の 牡丹も今より一千年余の昔から栽培されるようになったといいますから、当時~現在に続いているものといえます。
その後江戸時代に入ると、三代将軍家光が好み、元禄時代に牡丹園 芸のブームが発生し、江戸の庶民に広まったことは以前にご紹介しました。同じ時期に牡丹 園芸のハウツーなどを著した専門書も出版されています。 当然その時期に多くの園芸品種が生み出されましたが、今に残る江戸品種は名 を留めるばかりで、栽培されている品種の多くは明治時代以降に作 出されたものだそうです。
その後江戸時代に入ると、三代将軍家光が好み、元禄時代に牡丹園
今に残る江戸品種がどれに当たり、牡丹 園で見ることができるのか調べてみましたが、わかりま せんでした。江戸品種が廃れ明治時代以降の品種が今に残る理由の推測はおいお い述べるとして、牡丹園の話に戻ります。
第一牡丹園は山門の外側にありますが、残りの2つ、第二、第三牡丹園は山門の先、大本堂側にあります。いずれもこじんまりしたもので、「牡丹園」というよりは「花壇」くらいの感じですが、お寺の境内(第一牡丹園も山門の外とはいえお寺の一部なのですが)という雰囲気が牡丹を違った感じに見せてくれます。
この時期、境内では他の花も楽しめますが、その紹介は次回に。