おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

蘭世の漢友4

該当する絵画を見ないと判りにくいと思いますので、文化遺産オンラインの当該ページのリンク先を貼っておきます。

bunka.nii.ac.jp銅版筆彩とありますが、当時は浮世絵の多色刷り(錦絵)の初期の時代(創始したのが江漢の師匠であった鈴木春信ですが)で、銅版画にはその技法は無かったため、筆で色を付けています。昔の白黒写真に彩色しカラーに見せたものを想像すると判り易いのではないでしょうか。

上記リンクの解説を更に読み進めると、左右反対になっている理由も書かれています。

「本図は実際の風景とは左右逆に描かれていますが、反射式のぞき眼鏡で覗いてみたときにはじめて本来の景観を鑑賞することができるという趣向」とあります。

「眼鏡絵」といわれるもので、遠近法を使用した風景画を「覗き眼鏡」という仕掛けを通して覗くことで立体的に見えるというものです。

江漢は絵を見る際に使用する反射式の覗き眼鏡も制作しており、これも文化遺産オンラインのなかで紹介されています。

bunka.nii.ac.jp翌年には、同じく眼鏡絵で「不忍之池」を描きます。

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「不忍之池」と同じく不忍池の南側からの景色です 版画の方は鳥瞰図の視点ですが・・

これらの眼鏡絵の銅版画は大いに人気を博します。天明八年(1788)から絵画研究のため長崎まで往復約一年の旅に出かけます。旅行中、銅版画を見せては自身の技量を見せつけ、その場で絵を描いて画料を得ながら旅費を稼いでいます。

旅行中、富士の景観に心を奪われ、後年、数多くの富士を描いています。また長崎では油絵を目にしたことでその技法を自分なりに工夫しています。

一つにはカンバス。帆布が語源ですから、本来は亜麻や麻の生地で作られるものを、絹を使用しています。また絵具には荏胡麻油と顔料を調合して作成し転用しました。

更には、長崎で地動説を知り、それを紹介するなど、この長崎行は江漢にとって実りあるものでした。

しかし、自由人として束縛を嫌う江漢と、幕府に逆らわぬよう秩序を重んじたい蘭学者との間には、次第に心理的な距離が開いていき、疎まれるようになります。

「こうまんうそ八」とまで非難されますが、それについては次回で。