おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

radio a〜a〜 もしくは 生まれたてのradio5

ラジオドラマは大きな評判を呼びましたが、その反響と影響の大きさゆえに、脚本の事前検閲(監督官庁逓信省による)や、リハーサル時には官吏が立ち会わなければならないという制約を受けることになってしまいます。

ラジオドラマ以外の誤訳番組としては、寄席演芸が挙げられます。ラジオドラマと異なり、演者一名とマイク一本で放送できることから、落語、講談、浪花節などが放送されます。また音楽番組は、邦楽は長唄常盤津義太夫、民謡など、クラッシックは日本交響楽団による演奏を放送しますが、いわゆる歌謡曲、流行歌のたぐいはこの時期の放送にとりあげられていません。

放送は公共の利益達成のためにあるもので、流行歌を放送することが、一部の営利のためになるから、という考えから、ともいわれています。

また、スポーツ中継は、昭和二年(1927)8月に、全国中学優勝野球大会の放送が始まります。今の高校野球中継の始まりですね。翌年1月には大相撲春場所の中継も始まります。ちなみにこの場所の優勝者は常陸岩、戦績は10勝1敗でした。(当時は今の十五日、年六場所ではなく、十一日、年四場所制です)

11月からは、東京放送局でラジオ体操が開始され、翌年(昭和四年)2月11日の紀元節から全国中継されるようになり

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佐久間公園 ラジオ体操の碑

秋葉原駅浅草橋駅のちょうど真ん中あたりにある佐久間公園には、「ラジオ体操会発祥の地」の碑があります。

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ラジオ体操発祥の地の碑は都内にあと2つあるそうです

「当時万世橋警察署の面高巡査が、町内会の人たちと共に全国に先駆けて『早起きラジオ体操の会』を始めたゆかりの地である」と書かれていて、下に体操のポーズが十対描かれたレリーフがはめこまれています。

また、冒頭に「簡易保険局が国民健康増進のために~」とあります。簡易保険局の書記官が、欧米視察中にニューヨークの生命保険会社がラジオで体操を行っているのを日本に取り入れたものです。放送協会は当初この申し出に難色を示します。ラジオ体操の放送は、保険事業という一部の利益のために行うことにならないか?という理由からです。(歌謡曲もそれで放送していなかった訳で)

しかし最後には監督官庁である逓信省に押し切られる形で実施され、体操の内容は変わりながらも、ラジオ体操の放送は現在に至っています。