おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

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放送博物館は一階が受付になっていて、そこから三階のヒストリーゲートに進みます。

館内は撮影不可となっていますが、ところどころ「撮影可能ゾーン」があって、ここで紹介する写真はいずれもその「撮影可」のところで撮ったものです。

ヒストリーゲートの先は、「放送の始まり」のテーマから始まっていて、前回ご紹介した試験放送の第一声が流れています。また、その際の仮放送所の様子も再現されていました。

試験放送の冒頭にあった「JOAK」は、放送局に割り当てられたコールサインと呼ばれるもので、日本の放送局には「JO」で始まる四桁のコールサインを使うことになっていますが、東京放送局が「JOAK」、大阪が「JOBK」、名古屋が「JOCK」となっています。

NHKの朝ドラは、半年ごとに前期はAK(東京)制作、後期がBK(大阪)制作となっていますが、ラジオ放送開始にあたっても、東京と大阪、どちらが先に放送を開始するかを互いに競い合っていたようです。結果、大正十四年(1925)三月の試験放送に続き、七月から本放送が東京放送局で開始されます。

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放送開始当時のラジオ受信機と番組表

放送開始が開始された七月十二日は日曜日でした。午前の部は九時から始まり、天気⇒君が代奏楽⇒挨拶⇒吹奏楽(数曲)で午前の部が終わります。その後はエンタメ色が強まり、午後の部は謡曲⇒ラヂオ劇⇒管弦楽⇒童話、夜の部はニュース⇒長唄⇒尺八演奏⇒管弦楽、というプログラムとなっています。

仮放送所と異なり、愛宕山の放送局には洋楽用(吹奏楽管弦楽)23坪、邦楽用10坪、講演用6坪という三室のスタジオが設けられており、これらのスタジオを利用して幅広い番組を電波に載せていったのです。眺望がよく、東京で最も高い場所がこの場所でありることから、この愛宕山山頂に放送局が設けられたのです。

七月の東京での放送開始に続き、大阪、名古屋でも放送が始まると、ラジオの受信者数は放送開始後半年で10万人、1年で20万人を突破しました。