おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

ラジオ・リスナーの嘆き

ラジオ放送の当初のニュース報道は、新聞社の輪番で無償提供された記事の原稿を、日本放送協会のアナウンサーが読みあげる形をとっていました。つまり、放送局自体が取材してニュースを報道する、というニュース番組は存在していませんでした。

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1926年製 24型6球ポータブルラジオ

当時のニュース放送は、正午と午後七時の一日二回行われていましたが、放送局が逓信省の管理下に置かれていたことからニュース原稿もすべて事前に検閲を経る必要がありました。そのため、新聞社からの寄せ集めのニュースが、検閲により更に当たり障りのない内容となってしまいます。加えて放送直前に不鮮明なままアナウンサーに渡され、アナウンサーは読みながら工夫して話し言葉に変えて放送する、というものでした。そのため、途中でつじつまの合わない報道や、固有名詞を誤読することも少なくなく、聴取者からは投書や電話でクレームが寄せられました。

昭和五年(1930)十一月から、この方式を改め、放送協会が、通信社から直接ニュース通信を買付け、自らの手でラジオ用のニュースに編集することにしました。これにより、政治・経済の全国ニュースや海外ニュースが充実していきます。

翌年九月に勃発した満州事変では、通信社から一日十数回の情報提供を受けることで、一日六回程度ニュースを放送する他、「臨時ニュース」として他の番組を中断して放送し、聴取者のニーズに応えます。ここにきてラジオの報道が新聞社の脅威となってきたのですが、ラジオ報道の優位性が明らかになったのは、昭和十一年(1936)年二月二十六日に起きた「二・二六事件」でした。