おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

風呂ネギの端午2

端午の節句」は別名を「菖蒲の節句」といいますが、去年の5,6月にたくさんとりあげた「花菖蒲」とは別ものです。「菖蒲」の葉によく似ていて、花が美しいところから「花菖蒲」と呼ばれるようになりましたが、前者はショウブ科(かつてはサトイモ科とされていました)、後者はアヤメ科です。
元々中国の風習では、薬草としての「菖蒲」を厄除けとして、刻んで酒に入れて飲む風習がありました。
また、同じく薬草のよもぎを使うこともあったようです。匂いの強いものには邪気を払う力があると思われていたのが風習の起源と思われます。ちなみに「花菖蒲」の葉には、この強い匂いはありません。
日本においては、奈良時代から菖蒲を髪飾りとして、「菖蒲のかずら」という記述が「続日本紀」の中にあり、男性は冠につけ、女性は髪にさしたことが記録に残されているそうです。
鎌倉時代あたりから、「ショウブ」の音が「尚武」に通じることと、葉の長く伸びて尖った様子が剣を連想させるところから、兜や太刀を男子に送り、成長を祈願する行事へと変わっていきました。

「菖蒲のかずら」の風習は宮廷から消えましたが、「菖蒲の兜」になり、そのうち檜兜(ひのきかぶと)に菖蒲や柏の葉などを飾るようになりました。

一方で玄関の前に幟(のぼり)や旗指物を玄関の前に飾る風習もあり、江戸時代以降、前者の風習が武者人形に、後者が鯉のぼりとなって現在に至っています。

武者人形(山形県河北町 紅花資料館)義経と従者

武者人形には、八幡太郎義家の他、源義経といったいかにも武将と言ったものの他に、「神功皇后武内宿禰(たけのうちのすくね)」といった古代伝説上の英雄や、鍾馗さまのような中国の魔よけの神様などもの題材となったものがあります。

神功皇后武内宿禰山形県河北町 紅花資料館)

一方の鯉のぼりは、江戸時代中期にある町人が幟(のぼり)を鯉を象ったものにかえて掲げたのが広まり、大型化したものと言われていますが、詳しくはまた次回に。