おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

蒸気機嫌で乗り乗り2

この稿を書くにあたって調べてみたところ、日本における鉄道の建設計画は、江戸幕府の時代にすでにあったというのを知りました。慶応三年12月23日、(西暦【太陽暦』でいうと1868年1月17日となり年が改まっています)に、アメリカ領事館書記官のポートマンにあてて、江戸~横浜間の鉄道設営免許が与えられています。

幕府老中の外国事務総裁、小笠原長行名でこの免許が出されているのですが、この日の約半月前の12月9日に、「王政復古の大号令」が朝廷から発せられています。

江戸幕府アメリカに鉄道建設の免許を与えていました

いわば、政権担当の境目に旧政府側から振り出された「約束手形」ですが、この鉄道免許の中身は、「完成した鉄道に対する経営権はアメリカ側が保有し、この経営の収益はすべてアメリカ資本の鉄道会社のものとなる」という内容でした。

これに対し、明治政府は、この免許は王政復古後のものであるから無効であると主張し、アメリカによる建設計画を拒否・却下します。一方政府側でも鉄道建設について検討が行われ、明治二年(1869)11月に新橋・横浜間の鉄道建設計画を決定します。

アメリカに出された免許が「外国管轄方式」なのに対し、日本が経営権を有する「自国管轄方式」での計画でしたが、当時の日本の技術力や資金では、独自で建設を行うことは不可能でした。ここで助力を仰いだのが、鉄道発祥の国、イギリスです。

日本の鉄道の礎を築いた イギリス人鉄道技師E・モレル(桜木町駅展示より)

イギリスから技術や資金を援助してもらって建設を進めることとし、そのために明治三年(1870)イギリス人技術者エドモンド・モレルが来日、建築師長に着任して工事が本格的に進められました。ちなみに上の写真で結構な年齢に見えますが、来日したのが29歳の時で、翌年に30歳の若さで肺結核で亡くなっているので、最晩年としても30歳の時の写真です。このモレルが「日本の鉄道の恩人」と賛えられる人物なのですが、その活躍については次回以降に。