おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

占わナイト ヨコハマ~♪

高島嘉右衛門は、元々幕末に江戸で材木商兼普請請負業を営んでいた人物です。幼少時は清三郎といいました。この息子の病弱を心配した父が、当時日本一といわれた占師、人相学の大家である水野南北を呼んで、観相を依頼します。
南北は清三郎の顔を見るや驚きの声をあげます。「これは百万人に一人という九天九地の相だ!」(百人に一人、と紹介された文章もありましたが、これではそれほど希少ではないので、百万人説を採用しました)
この相は「将来、天上界の神仏となるか、誤れば地獄の鬼となる」という両極端な人相で、若いころの彼はまさに天国と地獄を行き来します。

高島嘉右衛門(旧横濱鉄道歴史展示パネルより)

寺子屋に通い出すと、四書五経(ししょごきょう)や六諭衍義(りくゆえんぎ)など、難解な文章も何回も読むと内容を理解して暗記できた、といいますから、相当な頭脳の持ち主だったのでしょう。14歳の頃から父の営む「遠州屋」で本業や盛岡藩での製鉄事業に関わるなど、東北地方でも働いていました。が、19歳のときに父親を亡くしてしまいます。父の名前「遠州屋嘉右衛門」を継ぎますが、遠州屋は天保の棄捐令の影響や親族の放蕩がもとで大きな借金を抱えていました。

ちなみに棄捐令とは、旗本・御家人等(商人からお金を借りていました)の債権放棄や債務繰延べを命じた幕府の政策です。救済される武士は助かりますが、貸した商人の側に負担が押し付けられるわけでたまったものではありません。
マイナススタートの地獄から跡を継いだかたちの嘉右衛門は、その借金の返済のために奔走することになります。22歳で材木屋を始めた彼に安政二年(1855)に大きな転機が訪れます。家にあった釜が音を立てて鳴り出す、という怪現象に遭遇した嘉右衛門は、幼少の頃に学んだ易経に基づいて卦をたてて占いを行いました。

すると「火」を意味する卦が顕れたことから、江戸に大火が起きることを予想、大量の材木を買い付けます。果たして数日後、「江戸安政地震」が発生、江戸に大火が起こります。買い付けた材木を高く売るとともに、被害を受けた佐賀藩の普請を請け負って2万両を儲け、先代からの借財をすべて返済することに成功しました。
しかし、「九天九地の相」の持主は、またも地に突き落とされいることになります。その話は次回で。