おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

自由な明日は、芦屋で光(ライト)を堪能4

周囲の建物が次々と倒壊する中、帝国ホテルは小規模な損傷のみでした。ライトの設計は「エクスパンションジョイント」という、建物全体を10のブロックに分け、異なる形状をつなぎ合わせることにより地震などの外形的な力を分散させる構造になっていました。つまり「揺れを受け止める」というよりは「受け流す」感じの構造だったわけです。

しかし、倒壊を免れるも周囲の火災に巻き込まれた建物も多い中、帝国ホテルは火災からも難を逃れました。ライトが経営陣の反対に負けずに作ったエントランス前の「池」がホテルを火災から守ったのです。震災から2週間後、弟子の遠藤新からこの報を受け取ったライトは狂喜したといいます。

で、この項は帝国ホテルではなく「旧山邑邸」と「自由学園明日館」をご紹介するために始めたのですが、本題に入る前に「大谷石(おおやいし)」の話をします。「大谷石」は栃木県宇都宮市の北部、大谷町一帯で採掘される石材です。軽石凝灰岩(かるいしぎょうかいがん)といって柔らかく加工しやすいのが特徴で、古墳時代にはこの地方の古墳の石室に利用された他、9世紀には大谷寺の本尊である「大谷観音」もこの石を使って彫られています。

大谷寺観音堂 岩のくぼみに建っていますが、そこに仏像が彫られています

この当時、今の国会議事堂の建設計画が進んでおり、その建築材料はすべて国産品を用いることが定められていました。そのため、大蔵省臨時建築局には国内産の石材標本室がありました。

国会議事堂 完成は大正十四年(1925)12月22日でした

ライトは林愛作のつてでそこに入り、石材の標本を確かめて選定を行ったのです。国会議事堂の素材にかかわる事項など国家機密のようにも思われますが、東京駅・国会議事堂に並んで「帝国ホテル」の新館は日本の政府(官僚)としても忖度せざるを得ない事だったのかも知れません。

標本を見て、ライトがファーストインスピレーションで選んだのが「大谷石」、ではありませんでした・・・続きは次回で。