おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

そうだ、ライト行こう2

振り向いた暖炉の写真がこれ↓

応接室の暖炉

前回の写真だと真正面が窓でわかりにくかったかもしてませんが、高い方の天井に照明を設けず、部屋周辺の低い天井に照明を設け、間接照明で部屋を照らします。照明のところの大谷石の装飾が浮かび上がります。

暖炉は大型の大谷石を配置したシンプルなデザインですが、中央に高く石を伸ばし、その上に緑の装飾を加えて部屋の対称性(写真のアングルが悪くてわかりにくいですが、この線を中心線として左右対称の造りになっています)を際立たせています。

別の角度から応接室の暖炉を拡大

上の写真をご覧いただくと、真中の暖炉と左右の柱、いずれも同じ大谷石なのに光(窓からの自然光と照明)の当たり方によって別の素材のように見えます。まさに「光を当てることによって大谷石独特の表情が生み出される」という前々回紹介した石工さんの言葉がわかるような気がします。

それと、自由学園明日館にも言えることですが、部屋の光も空気も「やわらかく」訪問者を包み、空間の「癒され感」が半端ないです。邸内に音楽は流れていませんが、勝手に頭にヒーリング・ミュージックが流れてきます。(私の場合はMike Oldfieldの「Hergest Ridge part2」でした)

応接室から3階に移る廊下や窓にも装飾が施され、また窓の外に見える大谷石の風合いも室内のそれと異なり、その存在感を発揮しています。

窓に施された装飾(このデザインはそこら中で見られます)

ライトの建築を一言で表すと「幾何学的な装飾と流れるような空間構成」ということですが、日本に残されたライトの作品ではもっともその特徴をよく表しているのではないかと感じます。

さて、この旧山邑邸、世界のライト建築の中で唯一「和室」を持った建物です。(アメリカで設計した建築に設けられていないのは当然ですが・・)この邸宅の竣工(完成)は大正十三年(1924)ですが、その二年前の帝国ホテル完成の前にライトは帰国してしまいました。ライトは設計までやっただけで、工事にかかってはいませんでした。依頼人山邑家からの督促を受ける形で、弟子の遠藤新、南誠(みなみ まこと)らによって実施設計・施工管理が行われたのでした。

和室はその実施施工時に、施主の希望を取り入れたとのことですが、ライトの元々の設計の中に和室を設ける企画があったかどうかは定かではありません。

さて、次回はその和室(三間あります)をご紹介します。