おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

自由な明日は、芦屋で光(ライト)を堪能3

ジュリアン・カールトンが何故このような凶行に及んだのか、動機はわかっていません。というのも、彼はボイラー室に隠れて塩酸を吞み下して自殺を図りましたが、のどが焼けただれた状態で発見されました。食道が塞がったような状態で獄中につながれ、7ヶ月後、何も語らぬまま餓死してしまったからです。

まさに精神的にどん底ともいえるこの時期に、帝国ホテル新館設計の仕事の話がやってきたのです。帝国ホテル支配人、林愛作は19歳で単身渡米、前職は美術商を務めてニューヨークの社交界ともつながりがありました。ライト自身も浮世絵の収集家で、元美術商と顧客の仲で設計を打診したのでしょう。大正二年(1913)にライトは訪日、大正五年(1916)に正式な契約を結びました。

この間、大正三年(1914)12月20日、東京駅が開業しています。この時期の東京の発展に向けた息吹が感じられますね。

東京駅開業については昨年11月「式典、罵倒」とその前後で紹介しています

写真を20年近く遡って探さないといけないため、ここでは写真の掲載できない帝国ホテル建築に関するゴタゴタには詳しく触れません。ただ、予算はオーバーするわ工期は遅れるわで、帝国ホテル経営陣と衝突してしまいます。経営陣の反対を押しきり、エントランス前に大きな池を作ったことも予算オーバーの一因でした。

そのためホテルの完成を見ることなく、ライトは日本を離れざるを得なくなり、後の建設は弟子の遠藤新(えんどう あらた)が指揮を執って続けられ、大正十二年(1923)に完成。ちなみに旧山邑邸も自由学園明日館も同じように遠藤新の指揮の下で完成しています。

さて、帝国ホテル新館の落成披露宴が開かれたのが9月1日。ここまで書いてきて、朝の連続テレビ小説おしん」のシーンを思い出しました。田倉商会作業場落成祝いのシーンです。

11時58分、東京をマグニチュード7.9の地震が襲いました。「関東大震災」です。続きは次回で。