明治七年(1874)に国内二番目の鉄道、大阪〜神戸間の路線が
日本の鉄道で最初のトンネルは、山や丘を通るものでなく、川をくぐり抜けるものだった、というのが驚きです。トンネルが造られた川は3本、「芦屋川」「住吉川」「石屋川」で、これらは河床(川底)が周りの土地より高くなっている「天井川」だったため、鉄橋ではなくトンネルを通したのでした。
大阪〜神戸間の開業した3年後の明治十年(1877)2月6日、この路線を東に延伸する形で京都駅が開業します。これにより京浜間・京阪神間に鉄道が開業されました。その後明治二十二年(1889)7月、東京(新橋)~神戸間600.2kmが全開通しました。
全開通といっても、当時600Kmを直通運転するのは1往復だけで、所要時間は20時間でした。時速30km程度(停車時間を含みますが)なので、速度は開業当時と変わりません。
余談ですが、この時期の客車にはトイレがなく、乗客は途中の駅の停車中に用を足したりしていました。東海道線全開通の年の4月、宮内省御料局長官の肥田浜五郎(日本鉄道会社の設立委員でもありました)が鉄道で関西視察に向かった際、途中の藤枝駅で用を足している間に列車が発車してしまいます。慌てた彼は列車に駆け込もうとしたところ、足を踏み外して転落、そのまま死亡してしまうという事故がありました。
この事故をきっかけとして、客車に便所を設置(列車便所)の導入が計画されるようになりました。
話がそれてしまいましたが、東海道線は開通しましたが、今だに「東京駅」は出現していません。この稿では東京駅のできるまでのいきさつなどをたどっていきたいと思います。