境内の鐘楼の東隣に、「横綱山」と呼ばれる山があります。山、とはいっても高さは1.5Mくらい。名前の由来はといいますと、昭和55年(1980)9月この境内で行われた子供相撲大会に、春日野理事長(栃錦)が一門の関取衆を連れて参加されました。
この年の5月に、前回ご紹介した横綱の松の名采配があったわけで、栃錦関は地元愛の強い方でいらっしゃったわけですね。
毎年9月の相撲大会に出て、子供たちを励まされていたといいます。境内にある横綱山の案内板には、「平成2年まで春日野さんは九月の大会にお出になり」とあるのですが、栃錦関は平成2年(1990)1月にお亡くなりになられているので、前年の大会か、この年に参加されたのは、次代の春日野親方のことかもしれません。
「横綱山」はその土俵の土で築かれたもので、相撲大会の開かれなくなった今では影向の松を上から撮影できるスポットとして知られています。
また、南側の仁王門には、外からだとわかりませんが、
そして、もう片方には「影向の松 大横綱」が奉納されています。こちらは横綱の松の名采配のあと、松の樹の幹のサイズに合わせて作られ、奉納されたものです。どちらも奉納者は春日野清隆、つまり栃錦関となっています。
善養寺と相撲の話、続きます。