おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

梅に惹かれて菅公に参り2

神ならば 出雲の国に行くべきに 目白で開帳 やぼの天神

この狂歌の作者は大田南畝(おおた なんぽ)。「蜀山人」や四方赤良(よもの あから)等のペンネームを持ち、幕府の御家人でありながら狂歌、随筆、洒落本の作者として知られ、江戸時代の文芸史を語るうえで外せない人物です。ちなみに、松平定信の「寛政の改革」の際に、「世の中に蚊ほどうるさきものはなしぶんぶといひて夜もねられず」という狂歌を作ったのは彼だといわれています。←本人は否定していますが)

江戸時代、寺社の維持に費用が掛かるため、前述の湯島天神などは、富くじの開催を幕府に認可してもらっていました。一方で、寺社のご本尊やご神体など、普段は見せていないものを、特別に見せて、参拝客・お賽銭を集めるのを「御開帳」といいます。

今の言葉にすると「特別公開」というと判り易いでしょうか。(下の写真は京都秋の特別公開の際のもので、今回の話の内容とは関係ありません)

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御開帳=特別公開 ※拝観料か文化財の維持管理に充当されます(撮影 2019年11月)

「目白で開帳」というのは、谷保の天満宮のご神体を、目白の地で「開帳」したことを表しています。こういう元々の所在地以外の場所で行うものを「出開帳」と呼んでいます。記録によると、谷保天満宮の「出開帳」は安永五年(1777)の十月(神無月)に行われました。先の狂歌は、神無月に行われたこの出開帳について、

日本の神様であれば、皆出雲に出払っているはずなのに、何故だか目白に(出開帳で)いらっしゃる野暮な天神さまであることよ

と、「谷保」と「野暮」をかけて詠んだものです。「野暮天」=「野暮な天神さま」という言葉は、この狂歌から生まれたとされています。

駅名である谷保(やほ)は、昭和四年(1929)に南武線がこの駅を作る際に、「野暮」に聞こえるのを嫌って「やほ」と名付けたとされています。地名のイメージがつくことを嫌って、歴史ある地名を修正した、これも歴史が作った悪戯のように思えます。
次回は、谷保天満宮の梅林などご紹介していきます。