おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

枯死、改修3

荒れていたお堂をなんとか復興しようと、地元の文化人・有志の賛同で「御行の松復興奉賛会」を結成し協議を重ねた結果、昭和三十一年(1956)に地元有志を喜ばせる話が持ち上がります。

時の台東区長のあっせんで、上野寛永寺からこの地に一本の松を贈与するというものでした。地元でもその話を喜んで受け、11月26日に二代目となる松の贈与を受けました。(上野中学校校内から植樹)

二代目 御行の松

この松がこの地に植樹された時の出来事が、「御行の松の怪」として伝わっています。

二代目の松がトラックから下ろされ、この地に置かれた瞬間、その時を待っていたかのように枯死した初代の残株(植わったまま枯死していた)は、植樹を見守る人々の目の前で横倒しとなり大往生を遂げたのだそうです。

翌月8日には奉賛会有志によって、初代の慰霊祭と新樹の生育を願い盛大な式典が催されました。

その際に残った根の部分は、現在「御行の松」の碑の横に置かれて(前回掲載の写真参照)います。慰霊祭の直後は西蔵院の本堂に安置され、朝夕供養が行われていました。

そして、「根から不動尊を彫り、不動堂にお祀りしよう」ということになり、同じ根岸に住む仏師の三木貞夫さんが引きうけ、不動尊像をを彫り上げたのです。

元々不動堂内には宝暦年間(1751~1764)に一寸八分の不動尊が納められ、19世紀初頭に堂内に安置した、と伝えられていましたが、新たに彫られた像も同じく堂内に安置されました。

中央がご本尊の不動尊 右が初代松の根から彫られた不動尊

戦後に建てられた仮本堂も、昭和三十四年、地元金杉の棟梁から一世一代の仕事として不動堂の建築をやらせてほしいとの申し出があり、奉賛会もそれを依頼、翌年に新たな不動堂が誕生、現在に至っています。一方で二代目の松は、残念ながら植樹後うまく根付くことができなかったのか、間もなく枯死してしまったそうです。

現在境内に見られるのは、三代目松(昭和五十一年八月植樹)と四代目松(平成三十年三月)です。地元の人々の思いがいっぱい詰まった境内で、是非末永く大きく育ってほしいものです。

次回、偶然この境内で見つけた「狸塚」の話など、余談としてご紹介します。