おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

枯死、改修

wikipediaの中に「指定解除された天然記念物」のカテゴリがあり、東京都の項には「御行の松」(おぎょうのまつ)と「狛江淡水クラゲ発生地」の2つが該当しています。

ここでご紹介するのが前者の「御行の松」。台東区根岸にある西蔵院の本堂から150mほど北に行ったところに、西蔵院境外不動堂(御行の松不動尊)があり、その境内に松が植えられています。

御行の松不動尊とあって、正面にお堂が見えます

境内に入って左側に松が二本植えられているのですが、大層な名前の付いた松にしては幹回りも高さもそれほどではない感じです。

二本の松が植えられていて、「御行の松」の石碑が建っていますが・・

それもそのはず、この二本の松は、三代目(左側)と四代目(右側)として植えられたもので、それぞれの植樹からは約四十五年、五年しか経っていません。(植樹から時間の経っていない方が大きいのは個体差の問題でしょうか)

初代の「御行の松」は「時雨(しぐれ)の松」や単に「大松」と呼ばれ、「江戸名所図会」や広重の錦絵にも描かれたこの根岸の地で名の知られた松でした。不動堂の境内の掲示板にこの松についての解説が詳しく掲示されていました。(同じものが小冊子となって不動堂のお賽銭箱のところにおいてあって、志納で入手できます)

「江戸名所図会」掲載の御行の松 不動堂と鳥居があるのは神仏習合の名残でしょうか

樹幹の周囲は4.09m、高さ13.63mあって、樹齢は四百年位と推定されていました。下の写真にもあるように高くそびえた幹から大きな傘を拡げたように枝が四方に垂れ、四季折々の眺めが素晴らしかったと言われています。

初代(右)と二代目(左)の御行の松 初代の写真は明治三十五年(1902)撮影

この初代の松が天然記念物に指定されたのが、大正十五年(1925)の10月20日のことでした。が、この名松は明治維新の頃、すでに樹勢に衰えを見せ始めていたそうです。

大正十二年(1922)9月の関東大震災でも被害を免れ、、二年後の大正十四年(1924)3月の日暮里の大火災でも危うく難を逃れた松でしたが、その余生は長くありませんでした。初代の枯死(こし)については次回で。