おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

けちん坊将軍

ドラマ「大奥」では、他の将軍が豪華絢爛な衣装を身に纏っているのに対して、黒を基調とした吉宗の装いは、シックといえば聞こえはいいですが、地味な色合いで華やかさは感じられません。紀州時代から木綿を身に着けていた吉宗の倹約家らしさを現しています
綱吉の時代から江戸幕府の財政は悪化、江戸城内に蓄えた金銀も底をつきかけていました。貨幣改鋳なども行われたものの、インフレを招いて経済が混乱してしまいました。ここに江戸時代の三大改革の一つ「享保の改革」が行われるのですが、これらの改革は一言で言うと「倹約による支出削減」。
ドラマでも最初に手を付けたのは、大奥の支出を減らすこと。
「見目よく気立ての良い者」を集めてお目見えする、と大奥に触れを出し、一同を集めるように伝えます。これを聞いた大奥のものは、側室選びが行われるものと考えて、早々に五十名の美女が集まりました。それらを集めて吉宗が発する言葉に、美女たちは耳を疑うことになります。

秋の江戸城(皇居)二ノ丸庭園

「大奥で選りすぐられた皆ならば、宿下がりすればすぐに良縁を得られるであろう、暇を取らせるので容姿端麗なうちに良家の嫁となるよう」、とこの五十人を大奥から去らせる、つまり今でいうリストラに成功しました。また、自身の肌着は木綿と決め、平日の食事は一汁一菜という質素な倹約ぶりでした。

大奥のリストラも4000人いたという人員を1300人までバッサリと切り、大幅な歳出削減に成功した、といいたいところですが、実際はそこまでの削減はできていません。

自身を将軍後継に推してくれた家宣の正室天英院には年間1万2千両、家継の生母月光院には1万両の歳出を行っており、大奥上層部のご機嫌は損ねていません。この辺り、後の「寛政」「天保」の改革とは違う点です。

綱吉の別名「犬公方」に対して吉宗は「米将軍」と呼ばれました。次回は吉宗と米価のお話です。