おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

尾張除ければすべて吉宗

ドラマ「大奥」(原作のコミックも同じですが)の冒頭は、三代将軍の時代、若い男子のみが罹患し高死亡率の伝染病、赤面疱瘡(あかづらほうそう)によって男が激減した状況を紹介した後、舞台は八代将軍への代替り直前の市井です。
中島裕翔さん演じる貧乏旗本の息子、水野佑之進が家計を助けるために大奥に入り、居間の掃除などを務める「御三の間」に配属となりますが、そこから大奥の内情やしきたりが明らかにされていきます。
その後、佑之進は吉宗の「お内証の方」となって…というストーリーが進んでいきますが、それ以上はドラマとコミックで、ここでは吉宗の事績やそれにまつわる史蹟などをご紹介していきたいと思います。

富永愛さんが堂々と演じた吉宗 黒の衣装は木綿が主素材

享保の改革」で江戸幕府中興の祖とも呼ばれている吉宗ですが、以前ご紹介した通り、宝永二年(1705)紀州藩三代藩主であった長兄、二代藩主の父、四代藩主の次兄が相次いで死亡したことで、五代藩主に就くことになります。この時22歳。当時紀州藩の財政は悪化しており、長兄の綱教の時代から倹約により立て直しを図っていましたが、吉宗は更にその改革を進めます。自らも木綿の服を着て倹約に勤め、この姿勢は将軍となってからも続けられました。また和歌山城大手門前に箱を設置し、領民からの誓願を受け付けていますが、これが後の「目安箱」の制度につながります。(江戸幕府においても「目安箱」という呼称は無く、単に「箱」と呼ばれていたようです)

吉宗の改革は功を奏し、紀州藩の財政は改善されていきます。幕府からの十万両にもわたる借金も完済、財政だけでなく風紀改革にも努め効果をあげました。

享保元年(1716)に、七代将軍家継が8歳で亡くなります。当然子供はいませんし、兄弟もいないため、家康~秀忠~家光の血筋は絶えてしまい、御三家の中から紀州藩の吉宗に白羽の矢が立ちました。実際には舘林藩主松平清武という直系がおり、御三家の筆頭は尾張徳川家ということもあって、すんなりと決まったわけではないのですが、そのあたりの話は次回に。