おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

米米グラフ(KOME KOME WAR)2

ドラマ「大奥」シーズン1最終回で、吉宗の死後、當間あみさん演じるお龍が、吉宗の座所の傍らに箱を見つけます。箱の中には紙切れがいっぱい詰まっており、そこには日々の米の価格が書かれていました。浅草の米相場価格が書かれた紙が残されていた、というのは史実で、「米将軍」と呼ばれた吉宗らしいエピソードをうまく取り入れたと思います。

吉宗は江戸商人を使って大坂の堂島米市場に介入させ、米相場統制を引こうとしましたが、逆に大坂側の商人たちの反発・結束によってその思惑を実現させることができませんでした。

米相場に介入し、米の値段を引き上げ高値安定させたい吉宗でしたが・・

ドラマのワンシーンで、お龍は、吉宗から「そなたが将軍であったら何とする?」と問われます。お龍は「この世で最も富を持っているのは商人でございます。私なら商人から税を取り立てます。」と答え、吉宗は「しかし、あ奴らは何も作り出してはおらぬではないか」と怪訝そうに尋ねます。ここに「享保の改革」を始めとする三大改革が、「重農主義」「米本位制度」から脱却できない限界がありました。

このお龍が、のちに十代将軍家治の時代に老中田沼意次となり、商業資本を重視した経済政策を推し進め、「田沼時代」を築くのですが、そのあたりは今年秋にスタートするシーズン2で紹介されることでしょう。

享保の改革の一つ、「目安箱」による民意を取り上げた政策として知られるのが、「小石川養生所」の設置です。この投書を行ったのが、漢方医の小川笙舟(おがわ しょうせん)でした。目安箱は享保六年(1721)7月に設置されましたが、「施薬院(せやくいん)」の設置を嘆願したのがその年の12月。翌月、すなわち享保七年(1722)正月にその嘆願が取り上げられました。同じ年の12月、小石川薬園内に約40名の病人を収容することが可能な養生所が開設されました。世話役ともいうべき「肝煎」(きもいり)には、笙舟とその息子、丹治が務めることとなりました。

次回はこの療養所の運営などについてご紹介します。