おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

世話を薬(やく)

小石川〇〇園というと、「後楽園」と「植物園」があります。どちらも文京区という東京のど真ん中にありながら、広い敷地の中に自然があるれ変えるほどの場所です。名前が似ているため、混同されていることも多いのですが、前者は水戸徳川家の江戸上屋敷に作られた大名庭園で、東京ドームのすぐ隣。一方後者は正式名称を「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」といい、名前の通り東京大学の付属施設で、植物に関する研究を行っています。

池を配した庭園もあり、こういうところが「後楽園」と混同されるのかも

江戸幕府は、三代将軍家光の寛永十五年(1638)に南は麻布、北は大塚に、二つの薬園を設置しました。文字通り薬草を栽培する場所で、人口が急激に増える江戸の町の住民の薬を、ここで育てようというものです。五代将軍綱吉の時代、天和元年(1681)北の大塚御薬園は廃止されました。母、桂昌院祈願寺として、ここに「護国寺」を建立するためです。貞享元年(1684)に南にあった麻布の御薬園を小石川のこの場所に移設しました。

この場所には綱吉の別邸があり、八代吉宗の時代には敷地全体を薬草園として使用するようになったのです。享保七年(1722)にご紹介した通り、「目安箱」への江戸の町医者、小川笙船の「施薬院誓願を受け、この場所に「小石川養生所」が設置されたのでした。

「植物園」内にある、旧養生所の井戸

綱吉の別邸にあった御薬園が進化して養生所となった訳ですから、この施策は綱吉の制作の延長線上にあった、とも言えなくもありません。といっても設立計画書によると、建築費が金210両と銀12匁、運営費(経常費)は金289両と銀12匁1分8厘といいますから、綱吉が中野に建てた「犬小屋」に比べると、ほんのわずかな予算しかかかっていません。(犬小屋の経常費は年間98000両)

この施設は、病人が無料で治療を受けられるという、江戸の下層民を救済する目的で建てられましたが、この薬草園で栽培された薬草の効能を試すために病人が集められている、すなわち実験台にさせられるという噂が立ってしまい、その目的にもかかわらず、町人たちは近寄ってきませんでした。そこで町奉行大岡忠相(おおおか ただすけ)たちは・・というお話は次回で。