おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

あっち行け、そっち行け、鴻池

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。よくよく見なおしてみると前回この「ようこその~」のフレーズを使ったのが昨年10月26日、その前が8月20日で、随分と長くテーマを引っ張ってました。どちらのテーマもそんなに長く続くとは思っていなかったのですが、調べて書いていくと新たにゆかりの場所やエピソードが出てきてそこを訪ねたり、昔の写真を引っ張り出したりしているうちにえらく長くなってしまいました。

ここらあたり小ネタでつないで春の花に持っていきたいところですが・・・。

さて、前回のテーマの終盤「大塩の乱」の下りに大坂の豪商「鴻池(こうのいけ)」が登場していました。代々の当主は「善右衛門(ぜんえもん)」を名乗り、上方落語の「鴻池の犬」「はてなの茶碗」にも登場します。

明治・大正・昭和(初期)時代の鴻池当主 11代善右衛門 幸方(ゆきかた)

江戸時代、その本宅が今橋の西にあったことも、大塩の乱の下りでご紹介しました。現在その地は「大阪美術俱楽部」となっていますが、交差点の角に面した部分には碑が立てられています。

今橋通りと藤中橋筋交差点北西側にある大阪美術俱楽部(鴻池本宅跡)

旧鴻池家本宅跡の碑

もともと鴻池家は戦国大名尼子氏の重臣山中鹿之助幸盛(やまなか しかのすけ ゆきもり)を祖としています。山中鹿之助といえば、毛利氏に滅ぼされた主君尼子氏再興を図り、最後には播磨国上月城落城後、備中国で毛利家の家臣によって謀殺された人物です。

今回は、その子孫がどのようにして大阪で財を成していったのかをご紹介しながら、上で紹介した2つの上方落語の演目にも触れていきたいと思います。