江戸時代は、いわゆる天下泰平の時代ですから、文化・芸術が栄え ました。そうした中にあって、エンターテイメントとしての演芸( 歌舞伎や落語)もそうですが、園芸も大きく発展しています。
朝顔や菊、ツツジや桔梗など、元からある色々な品種をかけ合わせ、新種を発表する、そうした園 芸文化の中心が染井の周辺であったといえます。
盆栽もこの時代に将軍から大名、武士から庶民へと広まり、園芸の ハウツー物も出版されました。 様々な新種が生まれます。
朝顔や菊、ツツジや桔梗など、元からある色々な品種をかけ合わせ、新種を発表する、そうした園
盆栽もこの時代に将軍から大名、武士から庶民へと広まり、園芸の
途中、通りを少し北に曲がったところに、「門と蔵のある広場」が
広場の案内板によれば、元々向かいにあった津藩藤堂家下屋敷の裏門を、染井の植木屋である丹羽家に移築したものだとか。
もう一方の「染井植木の里」とある案内板には、丹羽家は代々「茂右衛門」を名乗り、造り菊、石菖、蘭、つつじなどを得意とした植木屋だったとのこと。
次回は、江戸第一の種苗商として知られた伊藤家のお話です。