おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

小柄な鼠が金盗って誅7

表題に「鼠」と名付けながら、7回目にしてやっと主役の番が回ってきました。

「鼠小僧」こと本名「次郎吉」は文政6年(1823)から天保3年(1832)の間、江戸の武家屋敷を荒らしまわった盗賊です。最後は獄門になりましたが、これは二度目の捕縛で、最初に捕まったのは文政8年(1825)のこと。その時は「初めて盗みに入りました」とウソをつき、入れ墨と追放刑を受けました。

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小塚原回向院の鼠小僧のお墓 天保三年の文字が見えます

追放の後は一度は上方へ行っていたものの、再び江戸に舞い戻り、博打の資金欲しさにまた武家屋敷を荒らしていました。捕まった時の尋問では、荒らした屋敷は95か所、839回にも上り、結んだ金は三千両くらい、と自白しています。時代劇では、千両箱を抱えて屋根伝いに飛び回るイメージですが、忍び込んだ回数で割ってみると、一度の仕事での金額はせいぜい数十両なのではないでしょうか。

ところで、市中引き回しの上「獄門」という刑が下されたわけですが、彼は押込みや強盗ではないため、単なる窃盗犯です。その意味では「獄門」は判例からするとそぐわない量刑でした。

「でも、江戸時代って十両盗むと死罪じゃなかった?」と思われる方もいらっしゃると思います。その通り「死罪」です。

この項の一番最初に江戸時代の死刑について述べましたが、「死罪」は小伝馬町での処刑で、市中を引き回すことはありません。「鼠小僧」は支配階級である武士から盗みをはたらいた分、量刑が重くし、晒し物としたように思えます。

「鼠小僧」の話、続きます。