鼠小僧が2度目に捕縛されたのが、天保3年(1832)5月のことでした。前回の自白内容は、その時の尋問の際のものです。この自白内容が、「鼠賊白状記」として残されています。この題名で検索すると、なんと国立公文書館のデジタルアーカイブがヒットします。明治8年の内務省による写本ですが、なんとネット上で閲覧できます!
「五月十日牢屋敷へ 異名鼠小僧事 無宿入墨 次郎吉」から始まり、本人の生い立ちや、何時どこそこのお屋敷に忍び込んでいくら盗んだというような内容がひとつひとつ記されています。よく考えれば、尋問調書なので当然ですが・・
約70ページに渡る調書は以下の言葉で締めくくられています。「引廻シノ上獄門申付」・・
刑に処せられたのが、同年8月19日のこと。
引廻しされた鼠小僧を一目見ようと、市中の野次馬大勢押し寄せたといいます。身長五尺(151から152センチ)に満たないものの、美しい着物を着せ、薄化粧をしたいで立ちだったそうです。もっとも、外見がみすぼらしいと、ご政道への反感を買いかねないためわざとそのようにしたのが理由のようですが。
両国駅から南に150メートルほど南に行った回向院(小塚原にあるのが別院にあたるようです)にも鼠小僧のお墓があるのですが、こちらは明治時代に建てられた供養塔に当たるものだそうです。
庶民に人気の鼠小僧ですが、そのお話は次回で。