流山鉄道の終点、「流山」駅の一つ手前、「平和台」からわずか500Mほどの間に、ご紹介したような場所が並んでいるのですが、順番的には近藤勇陣屋跡なのですが、先にそのすぐ横にある閻魔堂をご紹介します。
普通、閻魔堂というと○○寺の境内にあるものですが、いきなり「閻魔堂」の看板が目に入ります。
安永五年というと、「解体新書」が発行された二年後ですが、お堂というよりは民家の一室に安置されているような感じでした。
また、境内の墓地には、天保六花撰の内の二人、金子市之丞と三千歳の墓もありますが、こちらは五月に小塚原回向院をご紹介する際に触れましたね。
あと、流山でご紹介しておきたいのが、流山浅間神社。
浅間社の境内に富士塚が作られているのをしばしば見かけますが、普段から(富士塚には山開きの日しか登れないものもあります)頂上まで登ることのできる富士塚としては、登るのにスリルを感じる小山です。
高さでいえば、ここよりも高い富士塚は少なくないと思いますが、かなりの勾配があって、登山道も狭いので、手も使いながらでないと頂上まで登ることができません。
なんとか頂上までたどりつき(そんなに時間がかかるわけではないです)、頂上からの写真がこちら
パワースポットだそうなので、流山に立ち寄られた際は、自己責任で是非チャレンジしてみてください。
次回からはいよいよ流山での近藤勇について取り上げます。