さて、この項では小塚原回向院に葬られる受刑者を何人か紹介していきましたが、
安政の大獄で処刑された吉田松陰・橋本佐内・頼三樹三郎の墓や、桜田門外の変の首謀者の一人、関鉄之助の墓などもあるのですが、これらの話や解体新書にまつわる話は、また別の機会に取り上げたいと思います。
江戸時代から明治の初期までの間、ここでの刑の執行は約20万人に上るらいいのですが、寛保元年(1741)には首切地蔵が建てられ、現在も残されています。
また、時代は下りますが、昭和初期の二・二六事件の首謀者の一人、磯辺浅一一等主計(大尉と紹介されることが多い)の墓もここにありました。
変わったところでは、プロレスの神様!
亡くなってから十数年のためか、ピカピカに磨き上げられた墓石が印象的でした。
小塚原のお話はここまで。最後までお付き合いいただきありがとうございました。