鼠小僧が庶民に人気があったのは、一つには、盗みに入ったのが武家屋敷(主に大名屋敷)だけだったこと、また徒党を組んで押し入ることなく殺生もしなかった、という点が挙げられます。これについては、本人に言わせると、大名屋敷は敷地が広大で部屋数も多いわりに、主に男性が仕事をする表向きに比べ。女性が中心の奥向きは警備が手薄で、発見されても逃げやすかったことが理由のようです。裕福な商家はそれなりに奉公人が多く、用心もしっかりしていましたので。更には武家屋敷では被害が出ても、公にするとお家のメンツが丸つぶれ、ということで、届を出さずにすませる、というメリットもありました。決して権力に反抗する意図などはなかったようです。
また、盗んだお金を貧しい人々に分け与えた、というのも、彼の普段の生活が実に質素なものだったからですが、真実ではなく、実際には賭博・遊興で使い果たしたというのが定説になっています。ただ、捕まる直前(予感があったのでしょうか)に妻や妾達に離縁を申し渡し、誰も連座させずに一人で刑場の露と消えた、、というのも人気の一因といえるでしょう。
鼠小僧のお墓は、長年捕まらなかった彼にあやかりたい人が、墓石を削り取って金運のお守りにしてしまうため、お墓の前に「お前立ち」を置き、そちらを削るよう案内されています。しかし、長らく捕まらなかったとはいえ、結局は捕縛され極刑に処され、盗んだお金も博打ですってしまっているわけですから、本当にご利益があるのかどうか・・・
鼠小僧のお墓の隣には、猫塚があり、鼠と猫が対比されています。
こちらの猫も、商家から2両を盗んで可愛がってくれていた魚屋(病気で体を壊し、生活に困っていた)に恩返しをした猫が祀られたものです。
鼠小僧の下り、以上で終わりですが、回向院の余談について次回触れさせていただきます。