おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

人も流れてどこどこ行くの4

当時の新選組・新政府軍の動きについては、陣屋跡の説明版に地図が示されています。

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流山の地で包囲された大久保(近藤)は・・

4月3日朝に江戸川上流の羽口渡を渡河した新政府軍は、午後4時ごろ本陣を包囲されます。本陣には大久保(近藤)と内藤(土方)ら数人しか居合わせていませんでした。

新政府軍の斥候(偵察役)を務めていた薩摩藩士有馬藤太は、応対した内藤(土方)に対して、「新政府軍に対して害意がないのであれば、武装を解除し、手元の武器弾薬を差し出すよう命じます。内藤(土方)は即座に了承、本陣に戻ります。

本陣では大久保(近藤)が、新政府軍に包囲されたからには、潔く切腹しようとしていました。しかし、内藤(土方)は、大久保(近藤)に異を唱えます。

「ここで切腹するのは犬死だ。新政府軍に出頭・投降し、あくまで流山への参集は、旧幕府銀の反乱を抑え、近辺の治安維持のためである、と主張し続けるのが得策ではないか」

有馬ら新政府軍は、大久保(近藤)と内藤(土方)が新選組の総長と副長であることに気づいていません。大久保(近藤)が出頭し切り抜けるうちに、内藤(土方)が江戸に戻り、幕閣に働きかけて大久保(近藤)の助命・救出に動こうという計画でした。

大久保(近藤)は内藤(土方)に説得され、自らは新政府軍に出頭し、残りの隊士換算し、武器を供出する旨を伝え、3日夜、矢河原渡で江戸川を西へ渡河、越谷へ向かいました。

投降直後から、「あれは新選組局長の近藤勇ではないか」と噂が新政府軍内にありましたが、ついにそれが真実として露見する時が来ました。新政府軍内に、近藤の顔をよく知る人物がいたからです。

次回、近藤の最期に続きます。