おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

白猫は招くよ2

今戸焼は、元々京都の深草焼の土人形が全国に伝播し、浅草の東北にある今戸の地で作られました。落語に「今戸の狐」という噺があります。その中で、主人公の貧乏な噺家の副業が、今戸焼の狐に彩色する内職でした。今戸人形は江戸の郷土玩具だったといえるでしょう。

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今戸神社社務所 招き猫グッズの扱っています

この噺の時代背景は主人公が三笑亭可楽の弟子なので、19世紀の初頭あたりと思われます。ちなみに可楽は職業噺家としてはもっとも初期の一人です。

この時代の今戸焼は狐の人形の方が主流だったのでしょうか。今戸焼の猫の人形として知られているのは、「丸〆猫」と呼ばれているものです。上の写真では、猫が正面を向いて右手(右前脚)を上げていますが、今に残る最古の「丸〆猫」は横座りで頭を正面向きにして招く、身体をひねったポーズでした。背面の腰の部分に、丸(○)に〆のマークが施されていたことから「丸〆猫」の名前があるようです。

招き猫が作られるようになったいきさつとして伝わっているのは、今戸神社の近く、花川戸に住んでいた貧しい老婆が、貧しさゆえに可愛がっていた猫を手放したところ、夢にその猫が現われました。猫が言うには「私の姿を作ってそれを祀れば福徳自在になる」とのことで、その通りにしたところ、大いに利益を得ました。

それが評判となり、老婆は今戸焼の猫の人形を作り、それを浅草神社で売り出し、江戸で大流行し今に伝わっている、というものです。

もうひとつ伝わっている話もあるのですが、そちらは次回で。