おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

白猫は招くよ4

招き猫というと、今戸神社以上に知られているのは豪徳寺です。豪徳寺の由来については、4月の「吉良星の如く」でも紹介済で、そこの記述と重なってしまいますが、今回のテーマに免じてご容赦くださいm(__)m

豪徳寺のあったところは、元々吉良氏ゆかりの「弘徳院」がありましたが、吉良氏の仕えていた北条氏が小田原征伐により降伏、吉良氏もその地を離れたため、徳川の世になってすぐの時代、寺は荒れ放題になっていました。

当時の和尚が、「たま」と名付けた白猫に向かい、「汝我が愛育の恩を知らば何か果報を招来せよ」(なぁ、こんなに可愛がっているんだから、なんか恩返しで良いことをもたらしてくれないか)と語りかけるも、猫はきょとんとしています。このまま日が過ぎ、ある夏の日の昼下がり、門前が何やら騒がしい。

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雨の豪徳寺門前

何事かと出てみたところ、鷹狩の途中でしょうか、武士が数名馬を下りて門から入ってきました。武士の一人が「通りがかると猫がこちらを見て手招きをするので、気になってこちらを訪れた。しばらく休息させてもらえまいか。」というので、和尚は粗末ながらお茶を出してもてなしました。そのうちに、夏空はかき曇って夕立が降り、雷鳴が轟き始めます。足留めされている間、和尚は説法などをしたところ武士はたいそう喜びました。そして、「私は近江彦根の城主、井伊直孝と申す者。猫に招かれ、雨宿りができただけでなく、和尚のありがたい説法も聞くことができ、これは仏様の導きによるものでありましょう。これからもよろしくお願いいたしたい。」と礼を言って帰っていきました。井伊家はこのあたりにも飛び地の領地を持っていて、鷹狩を兼ねて見回りを行っていたのかもしれません。

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豪徳寺を訪れたのは二代目藩主 井伊直孝でした

その後、弘徳院は井伊家代々の菩提を祀るお寺となり、豪徳寺と名を変えて現在に至ります。和尚はその後も猫を可愛がり、亡くなった後は墓を建てて冥福を祈ったといいます。豪徳寺には招福殿(招猫殿とも)があり、たくさんの招福猫児(まねぎねこ)が参詣者を迎えてくれます。

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豪徳寺の招福殿(招猫殿とも)

豪徳寺と招き猫の話、もう少し続きます。