おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

えんま異なもの味なもの6

太宗寺の北100Mくらいのところに、正受院(しょうじゅいん)があります。正式には『明了山正受院願光寺』といい、太宗寺と同じく浄土宗のお寺です。

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新宿:正受院 北区にも同じ名前のお寺があるので検索される際はご注意を

正受院は、閻魔さまのお像はなく、奪衣婆像のみが祀られている少し珍しいお寺(東京都内では世田谷区上馬の宗円寺もそのうちのひとつだそうです)です。伺ったこの日はあいにくの大雨で、上の写真の門から境内にかけての坂を雨水が流れ、境内奥まで進む気力を無くす天候でした。が、幸いにも門を入ったすぐ右側に奪衣婆像を祀ったお堂がありました。

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正受院 「奪衣婆」ではなく「子育て老婆尊」の幟が

お堂は格子ガラスで覆われていて、蛍光灯の灯りでお像の姿を拝むことができました。

ガラス越しの写真なので、ピントが甘いのと映り込みであまり上手く撮れませんでした。表情は柔和ですが、左ひざを抱え、右手に布(亡者からはぎ取った衣服でしょうか)を持ち、太宗寺のそれと同じポーズです。

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お堂内の「奪衣婆」(子育老婆尊)像 白い綿をかぶっています

像高は70CMほどといいますから、太宗寺の奪衣婆の三分の一弱、柔和なお顔も相まって、妓楼のヤリ手商売神のイメージよりは、お堂の幟の通り、子育ての神様というのがしっくりきます。

ご覧の通り、綿を頭巾のように被っていることから「綿のおばば」とも呼ばれているそうです。咳止めや子供の虫封じに霊験あらたかなのだそうです。

「子供の虫封じ」ってそもそもなんだっけ?と思って調べると、昔は、子供がひきつけや疳(夜泣きなど不機嫌な状態)をおこしたりするのを、「虫がおきる」とか「疳の虫」と呼んで、これを封じるために祈祷や護符をいただくのを「虫封じ」というのだそうです。今昔を問わず、「泣く子には敵わぬ」で、子育ての苦労を軽くして、健康な子に育ってほしいとの祈りが伺われます。

旗本の高力氏が妻の像を作らせたところ、あまりにも恐ろしい姿に出来上がってしまったので、正受院に納めたという伝説もあったそうですが、どんな奥方だったのが、ちょっと気になります。

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正受院案内板

案内板に書かれた「藤岡家日記」とは、江戸時代末期の情報屋、藤岡由蔵(須藤由蔵)が当時の江戸の事件や噂などをまとめたものだそうです。それによると、

弘化4 年(1847)に、泥棒が正受院に押し入ったところ、、奪衣婆の霊力により体がすくみ召捕られた。さらに嘉永元年(1848)12月には奉納された綿に火が引火したのを、奪衣婆自らもみ消したという評判がひろがり、翌嘉永2年(1849)春にかけて参詣人が群集し、大いにはやった。正受院に押し入った泥棒が奪衣婆の霊力により体がすくみ召捕られた。さらに嘉永元年(1848)12月には奉納された綿に灯明の火が引火したのを奪衣婆自らもみ消したという評判がひろがり、翌嘉永2年(1849)春にかけて参詣人が群集し、大いにはやった。錦絵にも描かれて、お参りした線香の煙が四谷見附まで届いたとも。しかし、あまりに流行りすぎ、寺社奉行による規制で、正月と7月16日以外の参詣が禁じられたのだとか。

境内には針供養の碑や、太平洋戦争の末期、金属供出のため失われた梵鐘が、戦後アメリカに渡り、返還された「平和の鐘」なども見ることができます。

正受院のくだりは以上ですが、閻魔さまのお話は続きます。