おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

いい富士 観たか 縁むすび10

二度も場所替えを余儀なくされた「大川富士」ですが、別名を「川田富士」と呼ばれていたそうです。「川田耕地」に由来しています。当初は6Mと、今の倍の高さがあったのですが、破却・移築で現在の大きさになったとのこと。

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山頂に置かれた祠には、天保2年(1831)の銘があるそうです

山頂の祠の他、塚の周囲に置かれた塔碑にも歴史のあるものが多く、最古のものは文政7年(1824)のもの。

大川富士移転のきっかけになったのが、前回触れた荒川放水路の開削でしたが、明治43年(1910)の大洪水を契機に計画された工事です。同じ千住七福神の寿老人を祀る元宿神社境内に、「感旧碑」というのがあったのを思い出しました。天正元年(1572)、この地域を開墾し、以来400年余住み続けながら、工事のため立ち退きとなった経緯とこの地への想いを綴った碑文です。土地への想いが今と段違いに強かった時代に、洪水対策とはいえ、祖先からの土着の地を去ることを余儀なくされた人々の叫びのように感じられました。

千住の富士塚紹介の最後は、千住大橋を南に進んだところにある素盞雄神社です。「南千住富士」と呼ばれ、高さは4M。

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千住素盞雄神社

平安時代延暦14年(795)、素盞雄大神・飛鳥大神が降り立った奇岩「瑞光石」、これがこの神社の起源となっているのですが、その岩のあった塚に、元治元年(1864)、 富士塚を築き浅間神社を祀ったものとのこと。

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千住素盞雄神社境内の「南千住富士」

言い方は悪いですが、元々別の神様が降り立った依り代に、富士塚がとって変わったような形です。こちらの富士塚も、千住富士と同様、7月1日のみ登拝が許されるとのこと。

富士塚のご紹介はこれで一旦終了し、他の富士塚についてはまた別の機会にいたします。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。