おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

落語あれば座り

ようこそのお運び厚く御礼申し上げます。

ここの文章を含めて、本や新聞の文章は、話し言葉と同じように書かれています。こうした現在の一般的な文体を「口語体」と言います。江戸時代や明治初期までの文章がとっつきにくい主な理由は、古典的な文体である「文語体」で書かれているからといえるでしょう。

明治時代に起こった、文語体の文章から口語体の文章への変革運動を「言文一致運動」といいます。先駆者と言える二葉亭四迷は、「余が言文一致の由来」の中で、

 

余程前のことだ。何か一つ書いて見たいとは思つたが、元來の文章下手で皆目方角が分らぬ。そこで、坪内先生の許へ行つて、何うしたらよからうかと話して見ると、君は圓朝の落語を知つてゐよう、あの圓朝の落語通りに書いて見たら何うかといふ。

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東京の定席寄席のひとつ、新宿末廣亭

「坪内先生」というのは、「小説神髄」などの著作やシェイクスピアの翻訳を行った坪内逍遥のことですが、このアドバイスが、三遊亭円朝の落語を参考にしては、というものでした。

日本の文学史を習った時に、「二葉亭四迷」という名前を「落語家みたい」という印象を持ったのは私だけではないと思いますが、この名乗りにも落語の影響があったのでしょうか。

それはさておき、今わたしたちが読んでいる現代日本語は、落語を下敷きにして成立した、とも云えるわけです。

四迷が小説を書く際に参考にした落語家、三遊亭円朝については後に触れることとして、ここでは落語の成立と寄席について史蹟をたどります。もともと辻立ちで始まった「落とし噺」が寄席となり、現在の落語が成立していく過程では、東京だけでなく、上方にあるゆかりの地についても触れていきます。