おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

廓噺(くるわばなし)は寄席

圓朝とライバル柳亭(談洲楼)燕枝も明治三十三年(1900)この世を去りますが、二人が牽引したそれぞれの一門が切磋琢磨して落語会を盛り上げていきますが、明治三十六年(1903)にはSPレコードに落語が録音されました。最初に録音されたのは、橘屋円喬(四代目)が演じた「相撲の噺」です。どのような噺か存じていないのですが、録音時間は2分足らずでした。しかし、その後の技術の発達により、昭和初期には落語のレコードが大ヒットするようになります。

一方で、大正十二年(1923)の関東大震災により、東京近郊にあった寄席九十四軒のうち、六十軒余りが消失・倒壊したといい、そのまま再建・復活できなかった寄席も数多くありました。震災からの復興で東京が近代化していき、大正十四年(1925)には、ラジオ放送が開始され、芸人に噺をさせておけば、手間がかからず番組が成り立つことから、落語や講談、浪曲などが便利なコンテンツ(などという言葉は当時ありませんでしたが)として放送されました。

昭和十二(1937)年に始まった日中戦争から、日本は戦争の泥沼に足を踏み入れていきます。昭和十五年(1940)には、ほとんどの政党が自主解散し、大政翼賛会に合流します。日本全体が独裁的な体制の下に、多様性が失われていく時代です。

この時代の流れは、落語を始めとする演芸の世界にも影響していきます。

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田原町 本法寺  塀には「日本放送協会」「落語協会」等の文字が

都営銀座線「田原町」駅のそばにある本法寺には、当時の政治・世相が落語界に暗い影を落とした跡が遺されています。この話は次回に。