おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

冗談は、寄席

寛政十年(1798)七月、山生亭花楽(のちに三笑亭 可楽)が、寄席興行を始めた下谷の「柳の稲荷」ですが、現在の下谷神社とされています。

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下谷神社 最寄駅は稲荷町です

可楽は、「花楽」と名乗ったこともあるようですが、馬喰町に生まれ、元々の生業は櫛職人で、京家又三郎といいました。焉馬の「噺の会」の参加者の一人で、仲間の素人噺家三人で興行を始めます。その際、「山椒は小粒でもぴりりと辛い」をもじって、山生亭花楽を名乗りました。

先にも書いたように、これをもって江戸における寄席興行の始まり、とされています。平成十年(1998)には、下谷神社の境内に興行開始二百周年を記念した、「寄席発祥の地」の記念碑が建てられました。

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下谷神社境内の「寄席発祥の地」の碑

式亭三馬が遺した「落語会刷画帳」によると、この時の寄席興行は、披露できる持ちネタが少なく、五日間しか続けられず閉じてしまう羽目になりました。この失敗でいったんは櫛職人に戻りましたが、九月に再起を図って越谷で再度興行を始め、それが評判となりました。今度はひとところでとどまらず、越谷・松戸など場所を変えることで持ちネタの少なさを補ったようです。十月に松戸において「三笑亭可楽」(読み仮名は同じですが)に改名しています。

その後は、当時の江戸で最も繁華であった両国の地に寄席の定席を構えて興行を行いました。三題噺や謎かけを得意としたといいます。三題噺は、お客から三つのお題を与えられ、それにちなんで即興で噺を創作するもの、謎かけは、「〇〇とかけて△△と解く」というよく知られた芸です。いずれもお客との掛け合いと即興性・頓智が必要であり、頭の回転が速い人物だったことが伺われます。

以降、寛政~文化・文政期には可楽を筆頭に多くの職業落語家が誕生します。

落語の噺、続きます。