おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

radio a〜a〜 もしくは 生まれたてのradio2

愛宕山上にはエレベーター(昨日のトンネル手前の階段近くに乗場があります)で上がることも可能ですが、会談で上がってみました。階段下との高低差がはっきりしませんが、表側の「出世の階段」ほど急ではないものの、結構足にきます・・

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放送博物館

山上に着くと、案内看板の通りに進むと、「放送博物館」の建物が見えました。この場所には、元々東京放送局舎がありましたが、昭和三十一年年(1956)に、世界初の疱瘡専門の博物館として開館しました。といっても現在の地上四階建ての建物は昭和四十三年(1968)し建てられたもので、当初の局舎ではありません。

アメリカではすでに1920年大正九年:外国の出来事のため、西暦を先に表示しています)にラジオ公共放送がスタートしていましたが、日本では放送実験までで、なかなか実用に至っていませんでした。その状況を一気に進めたのが、大正十二年(1923)に起った関東大震災です。無線電信で正確な情報伝達が伝えられ、無線放送の重要性が認識されたことで、日本においてもラジオ放送局の開局が早められました。(阪神大震災の後に携帯電話の普及に勢いがついたのと似た感じですね)

大震災の約一年半後、大正十四年(1935)三月二十二日朝九時三十分、東京の芝浦にあった東京高等校工藝学(現在の東京工業大学附属科学技術高等学校)の図書室を仮の放送所として、日本最初のラジオ放送の電波が発射されました。

その第一声は、「あーあー、聞こえますか。JOAKJOAK、こちらは東京放送局であります。こんにちただいまより放送を開始いたいます」というものでした。第一声で「聞こえますか?」と呼びかけるのも何か不思議な気がしますが、この放送は試験放送、おいう位置づけで、その後同じような試験放送、仮放送を重ね、七月十二日に愛宕山の放送局から本放送が開始されたのです。