おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

迷えるツツジ2

根津神社が現在の場所に移ることになる前年、宝永元年(1704)に、時の将軍五代綱吉が、後継者である六代将軍を甲府徳川家の綱豊に決定しています。
甲府徳川家について話す前に、三代将軍家光の時代に遡ります。家光は5人の息子をもうけましたが、成人したのは3人で、上から家綱、綱重、綱吉です。慶安四年(1651)家綱は若干11歳でした四代将軍となりました。その少し前、弟の綱重・綱吉は共に上野や駿河など6ヶ国からそれぞれ15万石を拝領しています。11歳の将軍の弟ですから、二名とも幼少で、江戸上屋敷で生活を続けました。

三年後の承応三年(1654)には、綱重の別邸として甲府浜屋敷が建てられますが、これが甲府藩の下屋敷を経て、将軍家の別邸(浜御殿)となりました。現在は浜離宮恩賜公園として公開されています。

浜離宮恩賜庭園 東京タワーが見えます

寛文十年(1661)に綱重は10万石を加増され、正式に甲府を城地として拝領、甲府徳川家の初代藩主となりました、同時に綱吉も加増と城地を拝領して25万石の大名となっています。その年に二人とも「参議」の位に任官されたことから、それぞれの城の地名から、「甲府宰相」「舘林宰相」と呼ばれました。二人とも拝領地で政務を執ることはなく、将軍の弟として江戸に住み続けています。

さて、根津神社から話がそれてしまいましたが、甲府藩の下屋敷はこの浜屋敷とは別に根津の地にもありました。

こういう角度で見ると大名庭園風に見える根津神社

そう、根津神社がこの地に遷る前にこの場所にあったのが、甲府下屋敷というわけです。そういう目線で見ると、つつじ園や周辺の池などは、大名庭園の名残にも見えてきます。

とはいえ、まだつつじと根津のつながりは見えてきませんが、その話は次回に。

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