根津神社が現在の場所に移ることになる前年、宝永元年(1704
甲府徳川家について話す前に、三代将軍家光の時代に遡ります。家
三年後の承応三年(1654)には、綱重の別邸として甲府浜屋敷が建てられますが、これが甲府藩の下屋敷を経て、将軍家の別邸(浜御殿)となりました。現在は浜離宮恩賜公園として公開されています。
寛文十年(1661)に綱重は10万石を加増され、正式に甲府を城地として拝領、甲府徳川家の初代藩主となりました、同時に綱吉も加増と城地を拝領して25万石の大名となっています。その年に二人とも「参議」の位に任官されたことから、それぞれの城の地名から、「甲府宰相」「舘林宰相」と呼ばれました。二人とも拝領地で政務を執ることはなく、将軍の弟として江戸に住み続けています。
さて、根津神社から話がそれてしまいましたが、甲府藩の下屋敷はこの浜屋敷とは別に根津の地にもありました。
そう、根津神社がこの地に遷る前にこの場所にあったのが、甲府藩下屋敷というわけです。そういう目線で見ると、つつじ園や周辺の池などは、大名庭園の名残にも見えてきます。
とはいえ、まだつつじと根津のつながりは見えてきませんが、その話は次回に。
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