おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

世田谷たがやせ

常盤塚から世田谷通りに出て、西へ向かいます。世田谷駅(松陰神社の話はいつか別の機会に)に近づいてくると、柱に「世田谷代官お膝元」と書かれた街灯が並んでいます。世田谷駅の前を南に曲がり、病院の角を西に入る通りが「ボロ市通り」。

毎年12月の15・16日と1月の15・16日、この通りで「世田谷のボロ市」が開催されます。(残念ながら行ったことがありません)

ボロ市通りを進んで200M、左手に茅葺きの立派な屋根が見えてきます。近くにローソンや向かいに信用金庫があるのでそこだけ異質な雰囲気。

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住宅地の間に急に出現する茅葺き屋根

「代官」というと、このあたりが天領(徳川家直轄地)だったのかと誤解しそうになりますが、この辺りは彦根藩世田谷領。豪徳寺のあたりに井伊直孝が訪れたり、菩提寺を建立したりしたのもその地縁があったからです。

江戸時代、大場家がここの代官を務めました。この屋敷は大場家の私邸でもあり、役宅でもあることから、「代官屋敷」と呼ばれました。彦根藩は30万石ですが、そのうち世田谷領の石高は約20ヶ村、約2200石に上ります。彦根藩にに限らず、江戸時代の大名は本国以外の「飛び地」を持っているのは珍しくなく、江戸藩邸の維持費や領民に労力奉仕などを求めたのですね。

ちなみに大名の代官屋敷の遺構としては都内唯一のものだそうです。

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屋敷の玄関口

ちなみにこの大場家は、鎌倉時代からの吉良家の家臣でしたが、小田原征伐後、土着・帰農していました。井伊家が世田谷領を拝領した際、当時の当主が代官として任命されました。

代官屋敷の話、続きます。