おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

涙、武士だよ人生は7

宮島村の村民たちが、海岸に近づいたボートに向かって泳ぎだします。ボートに結ばれた太いロープを手に取ると、今度は浜向かって引き返し、浜に残っていた男女に渡すと一緒にロープを浜の松の木の幹に結び付けました。

2日間かけてディアナ号乗組員の救出作業は続けられ、ボートや、甲板に残った船の破片で筏を作って船と浜を往復し、浜では村民たちが引き上げていいきました。奇跡というべきか、乗組員に一人の死傷者もなく救出作業が完了したのです。

ディアナ号に乗船していた司祭マホフの「ディアナ号航海誌」には、この時の様子について、これまでのいきさつの後、日本人への感謝が述べられています。

「あなた方のおかげで唯今生き永らえている私たちは、1855年1月4日の出来事を肝に銘じて忘れないであろう」

乗組員全員がディアナ号を離れ、浜辺へ引き上げられましたが、皆ずぶぬれです。宮島村先の地震で大きな被害を受けていましたが、できうる限りの援助を行いました。

プチャーチンの報告書にも「宮島村では、地震のために破損しなかった家は一軒も残っていない有様だったが、かれらの人間的心労のほどは、とうてい称賛し尽くしがたいものがあった」と感謝の言葉が残されています。

日本ではこの間11月27日に改元が公表され、安政元年となりました。

菩提寺本立寺にある英龍の石像

英龍は宮島村からの報告を受け、まずは代官所から手代を向かわせた後、自らも現地に急行しています。英龍からの連絡を受けた川路聖謨も現地に人を派遣し、英龍に協力し、プチャーチンを始めとする一行に対応するよう命じています。

英龍は乗組員たちを近くの村や民家を収容しますが、前述のとおり地震で倒壊した建物が多く、思うままの手当てはできませんでした。支配地全体の被害とその救済も、彼の肩に重くのしかかっていました。

更には宮島村沖に座礁したディアナ号について、プチャーチンから戸田港まで曳航してもらえないか、との依頼を受けます。自力走行がすでに不可能となっているため、荷船や漁船を動員して、引っ張っていってもらえないか、というのです。