おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

吉良 KILLER TEAM2

表門、裏門から邸内に入り込んだ四十七士は、かねてから入手していた図面を元に吉良上野介の寝間に向かいますが、吉良は既に逃げ出していました。茅野和助が吉良の布団に手を入れ、まだ温かみが残っていたことから、まだ寝間を出たばかりだと判断、四十七士はまだ遠くには逃げられぬはずと周囲を探し回ります。
台所の裏にあった物置のような部屋を探したところ、中から吉良の家来が二人切りかかってきたのでこれを返り討ちにしました。更に部屋の奥を探ると、白小袖を着た老人を見つけます。この老人を間十次郎が槍で突いた後、武林唯七が更に刀で斬り絶命させました。

年恰好からこの老人が上野介であると思われますが、あいにく四十七士は吉良本人の顔を知りません。背中に主君浅野内匠頭が一年九か月前に斬りつけた傷跡を見つけ、ある程度確証を得た後、更に吉良方の足軽に吉良本人であることを確認しています。

映画やドラマでは、吉良らしき老人を捕らえ、傷跡から本人だと問い詰め、大石と問答を交わした後、首を討たれるというシーンがありますが、そんな悠長な場面はなかったようですね。

泉岳寺境内にある赤穂義士記念館 忠臣蔵についてのビデオも上映されています

吉良の首を獲ったところで仇討の目的は達成されました。合図の笛を吹き、邸内の四十七士を集めます。侵入から討ち取りの確認までわずか二時間程度の出来事でした。
双方の死傷者は、吉良側の死者は15人、負傷者は23人であったのに対し、一方の赤穂浪士側には死者はおらず、負傷者は2人という一方的な勝利といえます。負傷者は原惣右衛門が表門から飛び降りたとき足を滑らせて捻挫したのと、近松六が庭で敵と戦っているときに池に落ちてしまい、太ももを強く刺されたというものでした。

吉良邸跡(本所松坂公園)の吉良側犠牲者の碑(上と人数が合いませんが・・)

吉良上野介の最期については、「江赤家秘録(ごうせきかひろく)」という広島大石家に伝わる文書によると次のようになっています。武林唯七が物置の中の人物を十文字槍でついたところ、小脇差を抜いて抵抗してきたので間十次郎が刀で首を打ち取った、とされています。さらに引き上げの際、間十次郎が吉良の首を取ったのを自慢したのに対して、武林唯七が憤って「私が突き殺した死人の首を取るのはたいした事ではない」と言い返した、と書かれています。協力して仇討をした浪士たちが、手柄を取り合っているようでなんともおかしな気分になります。
吉良の首を獲った一行の泉岳寺への凱旋については次回に。