おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

吉良 KILLER TEAM5

見物人を下がらせて、泉岳寺門内に入った浪士たちですが、大石は「御仏前に槍の先を向けるわけにはいかない、と皆に指示を下し、それより先に主君の墓に直接向かったといいます。墓参の後には本堂に上がっていることから、寺僧たちが先に本堂に上がるよう勧めたのに対して、主君の墓前に首を供えるのが先、と考えたのかも知れません。

泉岳寺に残る「首洗いの井戸」

全員で墓参し、吉良の首を手向けた後、和尚にお目にかかりたいと本堂客殿に集まりました。和尚が浪士たちと対面して「この度の吉良邸討入りはさぞ本望でありましたでしょう」と尋ねたところ、「仰せの通り、日ごろの本望、これに過ぎるものはございません。お寺に参りお世話になります」と大石は応じています。

浪士たちは内匠頭の墓前に首を供えました

この後、浪士たちが「大変疲れたので、温かい粥をいただければ」というので、寺では粥を振舞いました。(酒も振舞った、という記録もありますが・・)

さて、吉良邸から泉岳寺に向かう途中で、大石は吉田忠左衛門富森助右衛門の二人を大目付仙石久尚(せんごく ひさなお 伯耆守)の元へ吉良邸討入りの報告をさせています。仙石家と赤穂浅野家が遠縁の親戚であったのが理由とされているようです。久尚は二人の話を家老に書き留めさえ、その内容を月番老中の稲葉正往(いなば まさみち 丹後守)に報告後、登城し幕閣にも討入りの次第を伝えています。

江戸城内での老中評議の結果、浪士たちの身は4つの藩に分けてお預けの身とする、と決められました。肥後細川家、伊予松山松平家長門長府毛利家、三河岡崎藩水野家の4藩がそれにあたります。

そのことが決められた後、久尚は部下3人を泉岳寺へ派遣し、浪士全員を一旦仙石邸へ移送するよう指示し、仙石邸で取調べを行った後、それぞれ浪士の預かり先を告げ、先の4藩に引渡しました。浪士たちはそれぞれ引き渡された藩により、その取扱いはずいぶん異なっていて、後にそれによって色入りと評判をたてられることになるのですが、その話は次回に。