おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

生きるか死ぬかの岐路に松

松は比較的長生きする樹木で、寿命は500年から1000年とも言われます。常緑樹であることも相まって、鶴や亀とともに長寿の象徴ともされていますね。

が、植物は移動ができないので、生育する環境が変わることで枯れてしまいます。

初代「御行の松」の場合は、周りに流れる河川の水質悪化と、関東大震災・日暮里の大火という厳しい環境変化が影響したものと思われます。一方、二代目の松は移植後それほど生育することなく枯れてしまっていて、移植そのものに原因があったのかも知れません。

ひたちなか市 湊公園の松 元禄時代徳川光圀が明石から移植し現在に至る

上の写真の、「湊御殿の松」は水戸藩二代藩主、徳川光圀が隠居後、元禄十一年(1698)に建てられた別邸に植えられたもので、跡地である「湊公園」内に、当時からの黒松が十二株育っています。

湊公園の案内板

これらは兵庫県須磨明石から取り寄せて植え(移植)られたものですが、320年以上経った現在でも堂々とした姿を見せてくれています。

二代目御行の松と湊御殿の松、その明暗を分けたものは何だったのでしょうか。枯死した松と同じ場所に植えたことから、移植する場所自体に環境的な原因があったとも考えられますが、ここではそれ以外に私個人が考える2つの原因に触れたいと思います。

ひとつは、時期。いくつかのHPにて樹木の移植の時期について調べてみました。落葉樹だと葉の落ちた時期は樹が休眠状態に入っているため、その時期に植え替えをするのが良いようです。しかし、松のような針葉樹の場合は、真冬と真夏さえ除けばそれほど厳密に移植時期に定めは無いようですが、ベストとして推奨されているのは初春の3-4月と夏の終わった初秋9-10月だそうです。

ここで「枯死、改修3」の記述に立ち戻ってみていただくと、二代目の松の移植は11月26日に行われています。そういう意味では移植の時期としてはベストな時期ではありませんでした。

もうひとつ、移植が失敗した理由として考えるのが「根回し」です。これについては次回で。