おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

お若・伊之 お松なせぇ

ここでお若と伊之助、逢引きがあったのか、なかったのか、頭の勝五郎は根岸の高根晋斎と、両国の伊之助の間を行ったり来たり・・

いわゆる現在の「落語」としてはこの部分に笑いどころがあるばかりで、あとはサスペンス調で話は進み・・

御行の松不動堂 右側に「時雨岡御行ノ松不動堂之碑」

根岸の道場の離れ、勝五郎と高根晋斎は隠れてお若の部屋の入口を夜を徹して見張っていると、部屋に向かおうとする伊之助と思しき男の姿が。

「勝五郎、あれは伊之助に間違いないか?」

気づかれないないように入口に近づき、その姿を確かめて戻ると

「へい、伊之助に間違いはございませんでした」

晋斎は床の間にあった種子島の短筒に火をつけると、伊之助に狙いを定め、ズドン!

ばったり倒れる伊之助と、悲鳴を上げて気を失うお若  

晋斎は気を失ったお若を別の部屋に寝かせるよう弟子に、一方勝五郎に伊之助を見るように命じます。すると勝五郎が

「先生、こ、これは伊之助でなく大狸でございますよ」

 伊之助を慕うお若につけ込んで、この狸が化けて、毎夜お若をたぶらかしに来ていたのだであろう、と晋斎が謎解きを語ります。しばらくしてお若は出産しますが、なんと双子の狸でした。これを絶命させ、御行の松のほとりに葬ったのが因果塚の由来と伝わります。

改めて「狸塚」 左の石碑は「和漢朗詠集歌碑」(文政二年建立)

実はこの落語全部で9編あって、原作?では双子の狸ではなく、男女の双子でした。伊之吉・お米と名付けられた兄妹、お若に加えて再登場する伊之助を交えた数奇な運命の物語が繰り広げられるのですが、現在演じられているのは、狸の双子に改作?された初編のみです。

境内でこの塚を見たとき、本当に塚が存在したのか!と驚きました。が、よくよく調べてみると、

三代目の松が植えられた昭和五十一年(1976)に石碑、初代の根っこなどの周りをよくよく探してみたものの、因果塚らしいものは見当たらず、また西蔵院の住職も聞いたことがない、といっていたそうです。昭和六十年(1985)に、不動講の人たちで「お若伊之助」の落語テープを聞いてせっかくこういう噺があるんだから、いっそ因果塚を作ってしまおう、ということになりました。

この洒落た話は進んでいき、五年後の平成二年(1990)「狸塚再建披露式」が盛大に行われます。秩父の赤玉という石に「狸塚」の銘を彫り、御影石の狸を二匹配したのですが、これは子狸ではなく夫婦の狸だそうです。

「因果塚」でなく「狸塚」としたのは「因果」という暗いイメージにしたくなかった、また「再建」というのにも、きっとここに存在していたものだった、との思い入れが理由なのでしょう。根岸の里の御行の松、不動堂と狸塚の由来の一席でございます。

と、落語調に終わらせたところで、次回は「松の寿命」について。