おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

小さく生んで大奥育てる2

火曜ドラマ「大奥」は三代将軍家光の時代から始まります。家光の御台所(正妻)は鷹司孝子(たかつかさ たかこ)という人物ですが、ドラマには全く出てきません。関白鷹司信房(のぶふさ)の娘で、輿入れしたのが家光が三代将軍となった元和九年(1623)の12月、翌年寛永元年(1624)に祝言が行なわれています。二十歳そこそこの夫婦でした。が、当初から二人の仲は悪く、孝子は御台所の称号を剥奪され、中之丸に御殿を与えられそこで長い間軟禁生活を送ることとなりました。

不仲の理由については、当時の家光に男色の趣味があったからとか、公家と武家との確執、孝子が嫉妬心が強いことに原因があったとか、推測はされているものの、はっきりとはわかっていません。

事実上の夫婦関係のないまま事実上離縁された状態です。その後孝子は冷遇され続け、家光の死後二十年以上生き続けます。歴代の将軍・御台所は上野寛永寺か芝増上寺墓所が設けられるのが普通ですが、孝子(本理院の院号を贈られています)の墓所は小石川の傳通院にあります。

傳通院

史実でもほとんど家光と接点の無い正室ですから、わざわざ物語に出てくる必然性もない訳ですね。

その代わりに、家光の乳母として大奥を取り仕切り、政治の面でも権力をふるったのが春日局(かすがのつぼね)です。ドラマでは斉藤由貴さんが演じていました。

史実でも、家光の将軍就任に伴い、「将軍様御局(しょうぐんさまおつぼね)」として大御台所(おおみだいどころ)・お江与の方(二代将軍秀忠の正室で家光の生母)の下で、大奥の公務を取り仕切り、大奥で権勢を振るうようになりました。

春日局の像 像の奥に終焉の地 麟祥院の門があります

春日局明智光秀重臣であった斎藤利三(さいとう としみつ)の娘で名前を「福」といいました。お江与の方は織田信長の妹「お市の方」と浅野長政との三女(つまり淀君の妹にあたる)ですので、伯父の仇が息子の乳母を務める、という関係です。

寛永三年(1626)にお江与の方が亡くなると、春日局は家光に世継ぎが得られるよう、側室探しに尽力していきます。その話は次回に。