おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

犬(けん)もほろろ

五代将軍綱吉の後、六代将軍家宣と七代家継の時代、コミックでは、側室月光院(左京の局)のくだりや、「大奥」最大のスキャンダル「絵島生島事件」(七代家継の時代の事件など、しっかりと描かれていましたが、ドラマではバッサリ割愛されています。
日本史でもその前後の将軍の存在感がありすぎて、ちょっと影が薄いのかも。徳川十五代将軍を順に並べるときに、最初に詰まるのはこの辺りが多いようです。(その後は家慶・家治あたりでしょうか)
家宣は48歳で将軍となりますが、将軍となって最初に行ったことは、「生類憐れみの令を取り止める」ということでした。

綱吉時代に建てられた犬小屋の一部は、後に桃園となりました

これによって、中野に建てられた犬小屋についても撤去されることとなりました。元々中野村の百姓が所有していた土地であったということで、持ち主に返したようです。犬小屋として召し上げられていた時期はその面積に応じて年貢が免除される優遇措置を受けていましたが、土地が返された後は優遇措置も無くなり、年貢課税の対象地に戻りました。

さて、その犬小屋に収容されていた「お犬さま」たちですが、小屋が無くなってどうなったのでしょうか?実はその後について史書に記されたものがなく、「よくわからない」のが現状。昔読んだ学習漫画では、庶民が犬に向けて石を投げたり、棒で叩いたりしてこれまでのうっぷんを晴らしたコマがあったように記憶していますが、それを記録した資料も残されていないようです。(心情としてはわからなくもないですが)また、野犬が増えたことで被害があった、という記録もありません。

まさに忽然と消えてしまったような中野の犬小屋ですが、綱吉に対して敬愛の念を持っていた八代将軍吉宗の時代、この地を「お立て場」(街道の途中などの休息所)として桃を植え、「桃園」としました。中野駅の南側には「桃園商店街」など地名にもその名残があります。

ドラマでは取り上げられなかった「家宣・家継」の時代、また別のとことでご紹介したいと思いますが、次回からは吉宗の時代をご紹介していきたいと思います。