おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

世話を薬(やく) 2

前回写真を載せた、小石川植物園内の「旧養生所の井戸」には案内板があって説明がされているのですが、ステンレスっぽい表面のため、正面からの撮影だと画面が光って文字が読めなるので斜めから。

「旧養生所の井戸」案内板 

それによると創設当時から、40名の患者を収容することのできる規模がありましたが、当初の頃利用は進みませんでした。当初「身寄りのない貧者」としていたことから、家族がいる場合は対象外だったことに加え、そもそも「無料で治療が受けられ、薬まで処方してくれる」というのが、庶民にとって理解できない政策だったのでしょう。そこに薬草園に作られた施設+身寄りのない貧者、というところから、「只より高いものは無い」=「実験台にされる」という噂が生まれてきたのでしょう。

そのため、江戸中の名主に、養生所を見学させ、その内容について説明するだけでなく、病人を積極的に送るよう指導しました。加えて、「身寄りのない」という条件を撤廃、「看病する者があっても貧者であれば」利用できることとしました。

これにより悪い噂は払拭され、患者は次第に増えるようになり、更に入所待ちが常に待機する、というように利用率がアップ、医師の増員を行うようになったこともあって、収容人員は170名にまで増えました。

現在、その建物は失われてしまっていて、跡をしのばせるものは井戸くらいしかありませんが、この後約140年もの間、江戸の貧者たちの救いの場所となりました。

養生所は、明治維新により一旦は廃止されたものの医学館の管轄に移り「貧病院」と改称して存続しています。しかし薬園=漢方という方針が明治政府の西洋重視の姿勢と合わず、結局のところ間もなく閉鎖されてしまいました。

が、この植物園には、井戸以外にも吉宗の事績を今に遺すものが建っています。それについては次回で。