おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

はんじょう 頼んまっせ 天(地)神 揃う

ワッハ上方」(大阪府立上方演芸資料館)は「なんばグランド花月」の向かい、「ドン・キホーテ千日前店」の入ったビルの7階。常設展示はちょっと物足りないものの、収蔵資料が豊富なので、企画展などはなかなか凝ったものが展示されます。入場無料なうえに展示物の写真撮影はOKどころか、「どんどん拡散してください」と貼紙があるくらい。

平成八年(1996)に開館した際には、同じビルの4階から7階が使われていて、うち5回にあった「ワッハホール」という300人が収容できるホールは平成十七年(2005)から4年ほど「島之内寄席」の会場として使用されていました。(このホールも大阪府の事業見直しに後に閉館)名前は変わらないものの、「島之内寄席」の場所は10ヶ所以上を転々と流浪したのです。

ワッハ上方 常設展示の「上方芸能の歴史」より

上の写真にあるように繁昌亭がオープンしたのが平成十八年(2006)のこと。上方落語協会開設から50年弱、「島之内寄席」の開設から34年が経過しています。その間、米朝一門は演芸場以外の劇場やホールで落語会を行う、いわゆる「ホール落語」を増やしていきましたし、それ以外の落語家たちも公民館・ライブハウス・喫茶店蕎麦屋などで落語会を開いていました。松鶴師のあと会長を務めた春團治師、文枝師の代でも「草の根」は広がっていたのですが、「定席」をつくり上げるまでの大きな動きまでにはならなかったのです。

四天王でも(米朝師は会長職には就いていないものの、長期にわたり副会長を務めておられました)できなかった悲願を達成したのは、その次の世代の噺家でした。話は続きます。