おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

ハマの大将軍2

「鷹狩り」というと、広大な原野と、獲物を追い立てる犬や家来たちをイメージします。しかし、浜御殿で行われていた鴨猟は戦国時代に織田信長徳川家康が行っていた「鷹狩り」とちょっとやり方は違うようです。

戦国時代や吉宗までの「鷹狩り」の獲物は鶴や白鳥、雉(きじ)などの野鳥、兎(うさぎ)などの小動物でした。これらを勢子(せこ)が見つけて、追い立てていく。他にも、犬などの動物を使って獲物を探す場合もあります。まさに最初に書いた情景です。

鷹のはく製(浜離宮恩賜庭園 鷹の茶屋)

追い詰められた獲物が走るか飛び立つかしたところへ鷹を放ち、狙った獲物を捕獲させるというもので、殿様と近習たちだけで鷹とたわむれ、狩りを楽しむようなわけではありません。結構な人数の家臣がお供をし、軍事演習的な意味合いもありました。

庭園内に鴨をおびき寄せそれを鷹に捕えさせるというもので、原野での狩りに比べるとスケールが落ちる感じがします。

浜御殿での鷹狩りのしくみ(園内の案内板より)

「元溜り(もとだまり)」という大きな池が作られて、ここには飼いならしたアヒルを放してあります。鴨などの水鳥はアヒルにつられて元溜りに集まってきます。

「引き堀」と「小覗き」(元溜り側から)

元溜りの手前に「引き堀」という水路が設けられ、水路の突当りが「小覗(このぞき)」(前回写真でご紹介したのが元溜りから見て外側から 上の写真は元溜り側から)という土塁になっています。名前の通りに覗き窓が設けられ、木の板を打ち鳴らします。

「小覗き」の覗き穴および合図用の木板と木槌

板を叩く音は飼いならされているアヒルにとっては餌の合図となり、引き堀の方にやってきます。すると周辺の鴨たちもそれにつられて水路に入ってくるのですが、そこが思う壺・・。引き堀の両側には鷹匠たちが陣取っていますが小高い堤が死角となって、水路を進む鳥たちからは見えません。

引堀入口に沈めてあった網を引き起こすと、鴨は驚いて逃げようとするが池に戻れなくなっています。鴨が飛び立つその瞬間、家斉の手(腕というべきか)から鷹が放たれ鴨に襲い掛かり仕留める、という塩梅です。このやり方だと、おびき寄せることさえできれば百発百中なような気もします。

次回は実際に行われた鷹狩りの成果などをご紹介します。