おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

犬々、続々2

生き物を憐れみ大事にすることが、野犬の増加を生み、犬の収容所である大規模な「犬小屋」の建設へと繋がっていきました。

私的に犬を飼うと、粗末に扱ったりすれば「処罰される」リスクが生じます。それを避けるため、犬を飼うのを止め解き放たれ、町や村で繁殖・増加していきます。その結果、今度は腹をすかせた野犬が子供を襲うということもありました。

また、鷹狩りの禁止も原因の一つといえます。鷹狩りは山野に鷹を放って獲物を捕らえさせますが、捕らえた獲物の代わりに餌を与えてやらなければなりません。鷹に与えていた餌が「犬の肉」でした。鷹の養育のために犬の肉を餌にしていたわけですが、この需要が全国的に無くなりました。

野犬に吠えられても傷つたりすると罪になりました

更には傾奇者(かぶきもの)の犬食も取り締まったため、犬は減少する要因を失いました。犬小屋の建設は、野犬対策・繁殖対策もあってのことですが、当然のことながら犬の餌代他費用がかかります。犬1匹の餌代は1日当たり米2合と銀2分必要だったそうです。中野の犬小屋が運用を開始した元禄八年(1695)当時、収容された犬の数はおよそ82000頭、年間で98000両以上かかりました。1両を10万円として計算すると実に98億円ほぼ100億円になろうかという金額です。その後最大では30万頭の犬がここに集められていたので、最大期は350億ほど、しかもこれは餌代だけの話です。

犬を養うのにも多額の費用が必要でした

ちなみに三代将軍家光が亡くなった時の、幕府の財産として残されたのが500万両あったと言われています。四代将軍家綱の時代、明暦三年(1657)に江戸市街の6割が消失した「明暦の大火」が発生しました。江戸城天守閣は再建は中止しましたが、本丸の再建費用だけで100万両がかかっています。家綱の代でその財産は100万両余りに減少しましたが、犬小屋に年間数十万両の支出を行い、綱吉は朝廷や寺社にも多額の支出を行ったため、更に幕府の財政は悪化していきました。そこに天変地異などの発生が拍車をかけるのですが、それについては次回で。