話は酒造りの過程の中の一つ、酛(もと)つくりに戻ったところで、高校時代の英語の先生から聞いた話を。(同じく酒どころ兵庫県西宮での話です)丹波篠山の出身の先生で、先生が言うには、丹波篠山の民謡「デカンショ節」の合いの手「デカンショ」なる言葉は「出稼ぎしよう」のなまったもので、丹波から日本酒造りに兵庫の酒どころに出稼ぎにでることを指している、とのことでした。
デカンショ~デカンショ~で半年暮らす アヨイヨイ あとの半年ゃ寝て暮らす
ヨーイ ヨーイ デッカンショ
から始まる「デカンショ節」には、次のような歌詞もあります。
ヨーイ ヨーイ デッカンショ
酛つくりの作業「山卸し」は、厳寒の冬に行う作業で、農閑期の丹波の人々にとっては酒蔵は格好の出稼ぎ先でした。伊丹や灘が酒どころとして発展していくのに技術集団でもある「丹波杜氏」(たんばとうじ)はかかせない存在だったのです。
また話が脱線してしまいますが、「蔵着き酵母」を用いて「山卸し」の作業で「酛(酒母)」を作る方法を「生酛(きもと)造り」といいます。
乳酸を生成するのに作業が発生するので、その分時間がかかる方法です。その作業を省いて人工的に純度の高い「乳酸」を投入し、時間短縮した製法が写真下方の「速醸(そくじょう)酛造り」といわれる方法。この方法は「生酛造り」が酛ができるまで約25日かかるのに対して「速醸酛造り」は半分の12日。
また明治四十二年(1909)、国立醸造研究所は「山卸し」をしなくても、米麹の力だけで米を溶かして乳酸菌を発生させる方法を開発しました。この方法だと酛ができるまで約30日かかりますが、「山卸し」の重労働から解放されます。「山卸し」を廃止した、この「山廃仕込み」も「生酛造り」から派生し各地の蔵元に拡がっていきました。
次回は次工程「仕込み」です。